ふたえまぶたとひとえまぶた-一重も負けない

買い物中とか、全身鏡に映った自分の姿を見るといつも「地味な顔…」と思います。どう角度を変えても地味だ。
街ゆく女子たちの可愛いこと。それに比べて私の顔ったら…何がいけないの?とか考えてみるけども、考えてみなくても分かるのだ。私は一重まぶたなので、華やかさで二重まぶたに劣るのは当たり前だ。
なのにアイメイクの大事さを忘れていたわ私ってば!というワケで最近マスカラを重ねに重ねるわたくし。結構違うね。でもまつ毛がくるんと綺麗に上がらないんだよねー。
…うわーん!くやしいよー!

だいたい二重まぶたの人ってその有り難さと、一重の苦悩を分かってないんじゃないかと思うのだ。泣くよ私は。
二重はめちゃくちゃ得をしている。そこにラインが一本あるか無いか、それだけで、人生が違うんです(ちなみに一重からすれば奥二重も立派な二重だと言いたい)。
なのに二重のくせして女子人生を諦めているようなひとを見ると一重としては「くっそう二重のくせに!」と思わずにおれない。テレビでやるような、女子変身企画のビフォーを見ると「あぁこの子は二重だから大分変わるな」とすかさず思うし、一重の子はといえばやはりイマイチぱっとしない。

二重まぶたというのは一重に比べてそういう絶大な力を持っているので、天然二重は間違いなく全員可愛くなっていただきたい(一重ゆえの横暴な物言い)。
対する一重の持ち主というのはもっと長期戦を強いられる。し、長期で一重ならではの魅力を磨いたところでやっぱり多くの二重には勝てないのだ。美しさは勝ち負けじゃないけど、いっそ整形してしまいたい気持ちはよく分かる。手っ取り早いし、それだけで本当に変わるもんね。

もし二重のひとが明日全員一重まぶたになったらどうだろう(そんなの嫌だけど)。有り難味を感じるはずだ。一重はそのラインを持たずに生きているのだ。健気でしょ。
そんな一重は、スタートラインからくじけがち、なのかもしれない。でも言いたいのは、そこ乗り越えたら「きれいになりたい」パワーはそのへんの二重よりすごいんじゃないかということです。ありきたりな言い方だけどコンプレックスをバネに!というやつですね。

例えば私が美肌に執着することの理由のひとつに、「一重だから」というのがある気がします。二重のひとは目力があるので、肌のアラが結構目立たないと思うのですが、一重だととにかく惨めです。
「ズルい…」私は特に高校時代、二重を妬んでいた。
「なに、あれ。」
「あんな肌してるのに全体で見ると割と平気なのは何でなの?」
「あの、あのぱっちりおめめのお陰か。絶対そうだ。」
「あれで一重だったら、顔上げれないよ私は!」
としょっちゅう二重と一重について考えていた。二重がほしくてしょうがなかった。だってどう考えてもカワイイんだもんさ!!!

でもいつだったかめらめらと、「一重でいくとこまでいってやる」と思ったのでした。ヨッ、生産的!
整形やアイプチで「二重の顔になってしまう」のもアリだけど、私はそんなありきたりなことはしてみないことにした。「二重で可愛い子」なら掃けるほどいるし別に自分までなることもない。
二重まぶたの上に更に努力をしている一番上のひとには勝てないかもしれないけど(そもそも別に勝たなくてもいい)、怠慢な二重よりは上に行ける、絶対だ。という大分野心的な思いを抱いたこともあったが、今は単純に自分のまぶたを気に入ってます。シンプルでいいよね。ほほ。

でもやっぱ…地味なんだよなー。もうちょっと痩せたらもっと目大きくなるかなぁ。あとメイクは気合い入れなくちゃ。
ところで私たち三姉妹は全員一重なのだが(両親二重なのに娘3人一重ってどういう…劣性遺伝子なのに)、一番下は1年間アイプチをし続け二重になり(オメデトウ!)、二番目はアイプチ5年目・つけ睫毛超愛用。将来は整形したいと言っています。
ぱっちりお目めに憧れる、一重女子の人生もそれぞれですね。
私は女子がみんな可愛ければ幸せです(さりげなくむちゃくちゃなことを言ってみる)。二重は二重に任せたYO!