つらいだろうが期待してるよ

この前久しぶりに1、2年生のキャンパスへ行ったのでぼんやり部室に行ってぼんやりしていたがもう春休みなので勿論誰もこない。本棚を物色し、ちょっと掃除をして満足したので帰ろうとしたらパソコンの前の椅子の上に、なにやら印刷物があるのに気が付いた。
タイトルとペンネーム付きの短い文章だ。ここで印刷したのかな。何が書いてあるのかと思ったら、部への文句が書いてあった。「ここは小学校なのか?」とか。「くだらない思想しか持たない」とか。
恐らく、もやもや絶頂の一年男子の仕業だと思う。誰だか分かんないけど。

引用するわけにもいかないのでいちいち挙げることもできないけど、要するに、ここの人間の「世界」だったり「認識」だったりの「狭さ」の批判をしてるもよう。文章は下手だし、言葉も足りないのでこっちが汲みたくても汲めないところもある。
でもこの子のこの文章の書き方と、しかもそれを匿名で、こんなとこに置くというやり方は、むしろ彼の狭さを露見させてしまっていた。
最初一読した時は、悲しい気持ちになった。腹も立った。だけどこの子も辛いだろうなと思った。そのあと何度も読み返して、いろいろ考えた。かわいい後輩のすることだ。

いや、こんなことしてんのは全っ然かわいくないけど。むしろ「あほかおまえ!」って言いたいけど。
まあとにかく、そこに溢れている想いはつまり私が読みとったところ「俺以外は、バカばっかりだ!」ということだったと思う。たぶん。
そういうのは、私はとてもいいと思う。
バリバリの自己肯定。度が過ぎなければ、それは力になる。抱いたモン勝ちの最強の武器だ。「自分が一番すごいんだ!」「自分は絶対間違ってない!」その根拠なんて、これからどんどん培われていくところに見出だしていければいい。

この子はまだ20歳とかで、しかも男子だ。大いにぎらぎらして、いっぱいもやもやして、めいっぱいとげどげしておいて全然いい。それは愉快に大人になっていくために、とても重要なことだ。そしてそれは昇華させてなんぼだ。途中で投げたらいけないよ。
心配なのは、この子はそういう感情を、こんな下らない形で表出させてしまっていることだ。良くない傾向だと思う。
今年の一年男子は人数が多くてもやもやしてんのも多かったけど、上の学年が女子ばっかなのもあって正直手に余っていたところもあって放っておいたんだけど、こういうことが前にもあった。

言いたいことがあれば直接言えばいいのに、自分たちで勝手に作った掲示板に匿名で書いたりとか、そういうの。責任を負わない言葉なのでちっとも響いてこないし、だから何の意味も無いし、でも上級生としては無意味に傷つかされるし、なんて非生産的だろうと呆れていた。
うちは、文章を書くことを主な活動としている部だ。言葉を使うこと、文章を書いてゆくことを真剣に考えている。それを私たちは、この1年でどれだけ彼らに伝えられたろう。

もちろん私たちだって果てしなくまだまだだし伝えるとか、教えるだとか言ったらはおこがましいけど、皆で切磋琢磨していけたらいいと思ってる。というか、それが部としてわざわざ集まっている意味だ。
だけどやっぱり言葉と向かい合っていくのは、おのおのがしていくべき仕事であるはずだ。言説することの力は、こういうふうに使うもんでないことはおのずと気付いていかないとだめじゃないか。それに気付いていないのだったら悲しいな。だって本人が辛いんだそういうのは。

私も高校くらいまで、いやほとんど最近まで、だから自分が苦しいのだと気付いていなかった。
まだまだ何にも知らない自分が、足らなすぎる言葉で、世界や人間や自分を「語ってしまう」と、本当はそれだけでないはずの対象が、途端、矮小になってしまう。それは対象を馬鹿にすることだし、向き合うにおいて誠実じゃない。こんな重要なことに無自覚だったら、もうその時点で無意味に苦しい。

もちろんこれから変わっていく可能性を期待したいけど、この子の場合どうだろう…。掲示板の感覚を、ここ(リアル)に持ってきてしまうというところがもう、区別ついてないんだろうなぁ、と思わされるし、使ってる「ことば」がまだまだ「どっから借りてきたんですか」って感じがするし、やっぱり多分、自覚は無いんだろう。
なにかを安直に捉らえてしまうことは、自分を安直だと言うようなものだし、安易な言葉を使ってしまうことは、誰よりも自分を傷つけるのだということに、彼は気付いていないのだ。
自分を大切にするために、早く気付いてほしいと思う。

これが、ほかの分野とか文化活動をしている人になら、私が言えることなんて無いのかも分からないけど、この子は「文章を書く」という自己表現を選んだのだから、同じ仲間としては、がんがんに、闘ってほしいと思うんだ。まずは己とね。
なにかを捉らえた気になって、「語り切った」なんて簡単に思うなよ。たいがいの言葉は、あんたのものじゃない。
常に、「これは自分の言葉かな」って考えていかなくちゃいけないし、語ることの出来なかっただろうものを、気にかけていかなくては。
だから、他人にも物事にも、「僭越しない」ことって大事だよ。

もっともっと、世界が面白くなるといいね。だって自分次第なんだから。きっとそうでしかないんだから。
でもそれは「楽しそう」なとこだけ見ていくとか、「面白そうな」見方だけしていくとか、そういうことじゃなくて、世界に敬意を払うってことだ。世界なんて巨大なテクストを、誰が読み切れるだろう。だから面白いのに、小さく語ってしまったら勿体ないでしょ。
こぼれ落ちてしまうものがあることに、常に、自覚的で敏感でありたいなぁと思う。

しかし佐々木くん(仮名)という一年生だけは、断然センスがいいと思うんだけど(ものすごい贔屓)、あとはなんだかなぁと正直思っている。
男子諸君にはこんな先輩の心配なんてきれいに裏切ってほしい。がんばれー。