鴻野くんに、「ローラさんの顔がもう少し自分の好みに近かったら、好きになっていたかもしれない」などと失礼千万なことを言われたことは、以前書いたけども(そして私はそれをそのときとても喜んだのだけども)、それは未だにそうらしく、少し前、狭山さんに「理想のタイプは?」と訊かれた鴻野くんは「顔がワタヤリサで、性格がローラさん」などと答えたらしい。
どれだけ…どれだけ私の顔に納得がいかないのかと。
(ていうか逆にどれだけ私の性格が好きなのかと!!)

一方で、狭山さんと付き合っている沢尻くんも、狭山さんのあまりの「彼女」としてのダメぶりに、「ローラさんだったらきっとよかったのに…。でも顔は狭山さんのが好きなんですけど」などと言うらしい。おい沢尻!(私と)彼女になんてこと言うんだ!
ていうか…どいつもこいつも。
でもまあですよ、こういう話を女の子にすると、たいていみんな「ひどいなあ」と、もしそれが我が身であったら、という想像をして、割と本気で同情してくれるのだけど、
私は、その同情に及ぶほどには、全く傷ついておらず、愉快な現象だ、とすら思っている(それもどうかと…)。

私はこういう、つまり男子に意識されにくいらしい顔を気に入っている。
というとまたたいがいの女子には変な顔をされるけども、それは本当に、そうなのだ。
恋されないということは、いいことだと思う。相手にとって重要すぎる存在にならないことは、お互いのためなのだ。
そうは言っても私にも女としてのプライドは、ある。そりゃあある。「○○が、アンタのこと好きらしいよ」と言われるようなときにくすぐられる部分が、そりゃもちろんある。でもそれも、それだけといえばそれだけだ。

あるいは「ローラさんの顔は好みじゃないから好きにはならないなあ」などと言われたとしても(鴻野くんにはつまりこういうことを言われたわけだが)、女として、「おい」と思うのは心のどこかのいち部分だけで(でも半々、くらいかなあ…)、「まあそうですかそれは安心」と思うのだ。
でも私がこういうことを言えるのは、周りの男子がみんな、優しくて、私の中身の方は好いてくれているからですかね。有り難いことだなあ。


しかしこれを書いていて、久しぶりに、自分てちょっと変かも、と思った。主に女子として。