私は鴻野くんのことが好きなんだろう(何をいまさら)。
今日、具体的にヘコむ出来事が2、3あって、とても落ち込んだ。私はそういう姿を、今までずっと、誰にも、というか好きな人間にこそ、見せたくないと思っていた。でも今日どうしてか、鴻野くんに話を聞いてもらいたい、そういう姿を見られてもかまわない、と思った。思えた。びっくりした。
今までとまるきり反対じゃないか。
あれっ。ということはそうか、こっちが、本当なのかな。カップルとかってそうやって、ちゃんと見せ合って付き合ってるんだな。急になにか合点がいったような気がした。

ひとを好きになるって、恋愛って、恋の本当って、そういうことか。相手と真っ向関わり合おうとすることか。そうなんだ。
そう気づいてみて私の今までの「好き」を考えてみると、「相手」という確実にあるはずの存在が、あろうことか、だいぶ欠落していたと思う。ずっと、「自分が相手を好きかどうか」ばっかり重要だった。というかむしろほとんどそれだけで、自分の存在が相手に与えている影響というものがあるだろうことが、あまり想像できなかった。恋されるとぎょっとする、困ってしまう、ということの原因は、そういうところからきていた。

つまり私はほんとに「他人」が「在る」ということが、全っ然分かってなかったのだ。なんというか、自己完結度高すぎ。そんなんで愛だの恋だの…それどころか「ひと」に関することなにひとつ、語れるわけねぇだろ。でも今まで散々、何かしら語ってきてしまった。情けなすぎてどうかしそう。今でも資格があるかどうか分からない。だけど今までよりはマシだろう。私は少しずつマシになろう。
ああまとまらない。でもアップ!寝る。