いまだに大掃除の続いている我が家。と言ってもやっているのは私と母親だけなので、まったく終わらない。
物置きになっているみーちゃんの部屋を、もっと物置きとして機能的にするために、いらないものを片付け、ついに禁断の扉(クローゼット)をぶちまけた。捨てても捨てても物があるぜ…。みーちゃんの部屋は高校卒業から時が止まっていて、本人に省みる気がまったく無いようなので完全に私ひとりでやっているのだけど、思春期の遺物がいっぱい出てきてちょっといたたまれない気持ちになったり。元カレとのプリクラとか…、若干暴走したインテリアとか…、友達とやりとりした手紙とか。私よりは全然かわいらしいもんだけどね!

うちにはおじいちゃんの代に建てた古い家と、父親が建てた新しい家があって、新しいといっても10年以上経つので、その両方の家に、物があふれ返って、ほんとうに収拾がつかない。
それでも上京後、掃除に目覚めた私は帰省するたび、一カ所ずつ整理してきた。
いくら散らかっていても、片付けてもいい、片付ければ綺麗になる、ということはすばらしいな、とつくづく思うのは、
我が家には手を付けてはいけないデンジャラスゾーンが存在するからだ。

こことか。20畳くらいの夢のリビング…。

こことか。ここは本来キッチンのはずだが…。

我が家の恥です。


これらはすべて父親のしわざ!
それでも散らかしたまま、この部屋を使ってるっていうんならまだしも、数年で使い捨てるあの人。上のふた部屋はすっかり捨てられました。ひどい。
いまも第3、第4の犠牲箇所が生まれようとする気配を感じる。ほんとうにやめてほしい。
片付けようとするとものすっごい不機嫌になって怖いので(ふだんはべつに怖くない)、何もできない。プライベート空間をずけずけ片付けられたくないのは分かるけど、だったら自分でやるとか、つーかもっと大事にしろよ場所を!片付ける気配なんか1ミリも感じたことがない。
こんな人とは結婚できない。いくら手の形がきれいで、50代にしてはスマートで、髪もふさふさして、綺麗好き(部屋以外)の釣り好きでも、(ファザコンか)、絶対にいやだ……
と、この惨状と、その惨状の変化しなさを目の当たりにするにつけ、つくづく思う。

日記じゃなくなってしまった。