ふたつのむねのふくらみはなんでもできるしょうこなの だけど

まったくしょこたんは可愛いな!!ドン!
と机を叩いてしまう日々です(どんな日々だ)。
個人的にはゆうこりんのほうがちょっとだけ多く可愛い。でもつまり私の中でそのふたりは近いところで競っている。ふふう。

私は可愛い女の子鑑賞(とくにグラビア)で、英気を養うところがだいぶあるので、テスト、テスト、レポート、レポート、で逃避心がむらむらと湧くこの時期、いま私は、もうもう可愛い女の子について気の済むまで誰かと語りたくてしょうがない。
卒論での胸の重さを紛らわすため、11月、12月はネットで永遠とグラビア画像を収集していた。さすがに「…私は馬鹿なんじゃないか?」という思いが頭をよぎりつつ、今もちろん大事な財産となっているわけだけども、そのコレクションがもう、たまらなくて。
何千と見たグラビア画像から好みのアイドルの好みの写真を選び抜いたすばらしきマイコレクション!みんなにも見せたくなっちゃう!!!
でもそういうわけにもいかないわけで、出来る範囲で見せびらかすも、みーちゃんとひーくん(義弟)には「ふーん」と若干けげんな感じでスルーされ、一緒に楽しんでくれるように思われた鴻野くんも、途中から「ローラのほうが可愛いよーちゅー」ってなってしまい、欲求不満…。
私は「この子可愛いの!見て!ね!可愛いでしょ!たまらないね!」っていうのを思う存分したいんだよー!!たまには…

しかしあれだ、やっぱそれが躊躇われるというか、少なくともむやみやたらにしないほうがいいかな、と思うのは、女子が可愛い女子について語ろうとするのは結構リスキーなことだと思うからだ。
なぜでしょうね、女の子同士でしゃべっていて、好みの異性のタイプが全然違ったところで、驚くことはあっても、まあ個人の好みだからねぇと思えるのに、これが好みの同性の話になると、下手すると険悪なムードにもなり得る。と思う。
たぶん、同性の同性に対する評価が現れるから、それに対して嫉妬したり、反発したりする気持ちが出るんだけど、たとえば「○○可愛いよね!」っていうのを聞いたとき、「えーそうか?」「どこが?」と思ってしまう、あの嫌な感じとか、私は結構あって、たぶんみんなもあるんだろうなあと思っている。
逆に、「○○可愛くないよね」というのも、何だか寂しく、聞きたくない。
私は、「可愛い!」と萌える機会がいっぱい欲しいので、可愛いと思える範囲を出来るだけ拡大した(つもりだ)。
それでも、当たり前だけど、好かないタイプはある。まして普通に(少なくともグラビア鑑賞を趣味にはせずに)生活していれば、可愛い(綺麗、憧れるなども含む)だと思う同性のタイプはそうそう拡大したりしないだろう(狭いほうが楽しいってこともあるしね)(でも、はてな女子には広い人が多い気がする。いいなあ)。
そんななかで、やたら可愛い可愛くないだの、言ってしまうのは、つまり「あの嫌な感じ」を誰かに与えてしまうかもしれないということだ。
仕方ないと言えば、当然、まったく仕方ない。こういうことは、何にでもある。映画とか、小説とか、ファッションとか。でもそれは、好みの異性についてズレがあっても問題無いのと同じで、「嫌な感じ」を抱くほどのことはあんまり無い。ひとはひと、自分は自分。でも女の子同士による、女の子についての話は、べつなのだ。デリケートである。
それに、女の子なら誰でも、可愛くなりたくて生きている。それを、「可愛い」「そうか?」とか「可愛くないよね」「うん」とかいうやりとりに乗せてしまうのは、寂しいことだと思うのだ。
だからと言って、「可愛い!」「好きだ!」という気持ちを素直に叫ぶことが悪いことであるはずはなく、もちろん好かないタイプについて語るのも自由だ。なぜか言いわけのように書いてしまった。だって単純なことじゃないと思ってる。複雑でもないけど。