ゆうべは母親と並んで眠って、お昼まで一緒にごろごろしていた。お昼頃母親が帰っていった時に、久しぶりに「寂しい」という感覚が襲ってきて、別にそれはあって当たり前の感情なんだけど、ここのところ私はひとりでいるのが上手になって、それは嬉しいことで、それどころか楽しくて面白くて仕方ない、などと思っていたので、少しだけ戸惑った。戸惑ってしまい、どうしていいか分からなくてまた寝てしまった。夢をいっぱい見た。

「ひとりでいること」を心底愛していても、他者の愛に触れたあとひとりになって「寂しい」と感じることが、失くなるわけじゃないんだなあと改めて思った。「ひとりでいるのがもうむしろ大好き」なことと「『寂しい』を感じない」ということは、全然、別なんだねぇ。
そういえば常々、恋人のいない私なんかより恋人のいるひとの方が、強烈な「寂しさ」を味わっているような気がしていたのだ。

恋愛をしていない私には、そばに大好きな恋人がいるというあたたかさを知っているからこそ感じるらしい(例えば「会えない」時とか「朝起きた時に隣に誰もいない」時とかに)「寂しい」が、無いわけで、それは随分と楽なことだ。
楽だからどうというわけではないけれど、苦しくないのは有り難いことだ。でもお陰で気付けないことや、知らないことも多いようで、たまに愕然とすることもある。そういう時は「へー…」としか言えない。だって知らないんだもん。

だからといって、早急に知るべきだとは思わないけど、このままずっと知らないつもりも、無いつもりではあるんだけどな。
でも単に好かれるくらいなら全然構わなくても、いざ自分が誰かにとっての「いちばん」にされるのは避けたがっているような私には、しばらくは無理のように思う。でもそのへんとかいろんなところを、ぽんと越えちゃうのが「恋愛」というやつなのかな。…。
なんか、私がカップルを好きであることの一部には、「恋愛ならほかのひとがしてればいい」というところから発露するものがある気がしてきた。さすがにまずいかもしれない。